都の西北総長の話

2009年1月11日 日経 早稲田大学総長 白井克彦氏「教育」要約

(前略)

大学教育の大衆化は著しい。日本の大学進学率は平成初期の約40%から今や55%を超え、高卒者の就職率が低下すれば、さらに上昇する可能性もはらんでいる。

日本における大学進学率の急激な上昇はベビーブーム世代が進学期を迎えた昭和40年代と、第2次ベビーブーム世代が進学期を迎えた平成初期の2回であった。国は人口ピーク時に大学の定員を政策的に増やしたが、人口減少期に入って定員を減らさなかったこともあり、進学率が上昇したのである。
この進学率の上昇は、今や学部大学生の77%を担う私立大学の拡充によってなされたのである。ところが、私立大学の収入の76.5%は学生生徒等納付金であって、国からの補助金は11%にすぎない。高等教育に対する公的支出は年々減り続けている。2008年度には国立大学86校に約1兆2000億円、私立大学873校に約3200億円が支出されている。
この金額は国内総生産(GDP)比0.5%であるが、これをせめて経済協力開発機構OECD)加盟国平均の1%にしないと、知的生産力のグローバル競争で日本が優位に立つことはできない。国立大学を含め平均してみても、高等教育の私費負担は66%に達しており、OECD平均27%の実に2.5倍に及ぶのである。
(中略)
大学の大衆化に伴って、教育レベルの低下が著しいという指摘がある。これについて、「そもそも50%を超える進学率は高すぎるし、大学が多すぎる定員割れしている大学は淘汰されるべきだ」という主張を耳にする。ところが実は、日本の大学進学率は先進諸国と比べて特に高いわけではない。今、各国は、競争力の根幹として高度な”人財”の育成、確保に懸命である。

大学が多すぎるのではないかという疑問が生ずるのは、大衆化した大学と社会との基本的関係が問われていることを意味する。
これまでの考え方は、18歳で大学に入り、4年あるいは6年程度で社会に出るために訓練をするという伝統的な大学像に基づくものであった。その流れは極めて単純で、教育時と労働時は完全に分断されている。
だが、日本が直面している少子高齢化や地方の疲弊などの深刻な問題に対処するには、現在の社会構造の何らかの大きな変革が必要であって、全体構造を固定したままで部分的に税金を投入しても、あまり効果は上がらないことが明白になってきている。

そこで、ここでは次のことを提案したい。午前中は大学で勉強し、午後は働く、またその逆でもよい。地域の産業、農業、福祉、保育、初等教育などの仕事と、教室における学習を幅広く組み合わせることで、地域社会に大きな構造変化をもたらすことができるだろう。その際、大学教員として、ベテランの社会人とともに、若手や女性を積極的に登用すれば、学生たちのリーダーとなって地域のあらゆるセクターに参加して、地域変革の大きな力を生むことも可能になる。議会にベテラン議員と学生議員がいることも考えられる。もちろん、学生は18歳で大学に入学しなくてもよい。必要な時に、都合の良い時に大学で学べばよいのである。

今や、大学は新社会人の半数以上を、“人材”として教育し供給している。多くの大学が社会と一体の関係を持ち、様々な社会機能のレベルを直接的に発展させる役割を果たしつつ“人材”育成を行うことが、日本社会の今後の大きな力となるだろう。


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正直駄文ですな。

なぜ定員割れしている大学を温存する必要があるのか。
OECDの中でもGDP比で助成が少ないから、もっと増やしてね?
日本ってGDP2位のときの統計かな?額だと相当上位なのでは?
で、必要な時に入学できる大学への構造転換?
早稲田はそんなことやってますか?
社会人用のMBAとか会社支援があるようなスタッフ部門の人間じゃないとサラリーマンが払うのは厳しい金額だよ。


って批判はさて置き、大学の大衆化は私自身は素晴らしいことだと思う。学ぶことは楽しい。
ただし、学問をする場所であるので最低限の教養や知識は必要だろう。
私自身18歳でその教養があったわけでもなく、ただただ遊びに夢中のモラトリアム学生であった。
友人や先輩と議論し刺激を受けたり、いわゆる学生のときしかできないことにも熱中した素晴らしき時間であった。
が学問をしたという実感は全くない。
学問をしたいと思うようになったのは社会人になってしばらくしてからである。
学問は娯楽の一種ではないかとも認識しているが、人生を豊かにするものだと私は思う。
(だから、昨今の就職や資格重視の大学には違和感を感じるが。競争を生き抜くためにはやむを得ないのだろうが)
なので、高校を出て社会に出てから大学に戻るような路線もあったらよいとは思う。
それが実学重視のMBAとかだけじゃなく教養教育であってもいい。
だが、現在の社会環境はそれを許す状況ではない。
なので白井学長が言うように社会構造の変化は必要だ。
だが、どうやって変革するのか?
私は社会人教育を大学卒業条件に内包させることが一つの方向性ではないか。
つまり、今日日本では企業等に所属してからの教育が重視されていることが、労働力の固定化や非流動性を生み、いわゆるつぶしがきかない人間を作ってしまっている一因だ。
また、逆に大学での教育を信用していないから企業は一から人材育成を行う。

なんて浅いね。全くまとまってない。