大学間の格差を是認することから改革が始まる

【論風】大和総研専務理事・川村雄介 大学改革の基本的視点 (1/3ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)

大学人は大学1年生を自嘲(じちょう)的に「小学13年生」などと呼ぶ。新入生合宿は友人づくりの手助けの場、オリエンテーションでは奇妙に熱心なママとパパばかり質問に立つ。大学の就職支援のコアは躾(しつけ)。こうした支援をしない大学など風上にも置けないムード。いつから大学が幼稚園になったのだろうか。


研究活動でも、産学官連携や社会とのかかわりを重視し、真に役立つ研究に取り組む教員が増えてきた半面、大学外で勝負するより、学内の試験監督業務や会議参加の方を重視しているタイプも多い。教授会を英語で進行しようと言った途端に白い目で見られた先生もいる。万事、縮み指向が強い。


もっとも、これらの真因は全国に大学が700も存在し、計算上は全入になった点にある。多くの大学で、もはや本来の大学レベルの教育や研究が困難になっている。換言すると研究・教育でグローバルに活躍する一部の大学と、カルチャースクール的なレベルの大学に分化せざるを得ないのが現実の姿。十把一からげに「大学」と呼ぶのはフィクションに過ぎない。日本人の通弊は表向き「差」を認めないことだが、大学間の差は歴然としている。


今後はまずこうした差を前提にし、国際競争を「校是」とする大学なのか、国民の教養底上げ・育成の大学なのかを明確にすべきだと思う。おそらく前者は30校程度だろう。これらの大学には研究者の練磨と学生の知的鍛錬のために傾斜的に資源配分する。企業の採用も後者とは別枠を設ける。日本の高等教育は、差を認めることから見直すべきなのではないだろうか。

文中には、『日本人の通弊は表向き「差」を認めないことだ。』とある。
もちろん、収入や学歴での「差」は存在するが、私は差が少ない(と感じる)ことが日本の素晴らしい部分であると思う。


ただ、昨今の大学乱立や大衆化は多くの弊害を生んでいると感じる。
だから氏の主張する大学間の区分けは必要だとも思う。
現存する大学を区分けするのではなく、フランスなどにみられるエリート校を新たに作る方法論がよいかもしれない。