公設民営大学、公私協力方式大学の設立経緯と今後の課題

鳥取環境大学―公立大学化への道―「公立になれば2015年度に自治体収入3億超」と試算 - TK独り言などでもふれた、
公設民営の歴史や今後について、アルカディア学報に桜美林大学大学院・大学アドミニストレーション研究科 船戸高樹教授による記載がありました。

No.402 厳しさ増す「公私協力方式大学」 問われる存在意義-上-

  • 厳しい状況に追い込まれている大学の中でも、地方自治体が設置経費やキャンパス用地を提供し、学校法人が運営するという、いわゆる「公私協力方式大学」の多くが苦境に立たされている。今年度、学生募集を停止した5大学のうち三重中京大と新城大谷大の2校が該当する。
  • この方式の大学が設置されるようになったきっかけは、80年代初頭に遡る。当時、わが国は都市部に人口が集中し、一方で地方の過疎化が進むという「二極化」が進行していた。この状況を打開するため国土庁は、第三次全国総合開発計画三全総)の定住圏構想を受け、大学誘致を起爆剤として地方再生を図る方針を打ち出した。
  • 国土庁自治体向けに配布したパンフレットには、地方に大学が進出することによって、研究機能を活用した「生産誘発効果」、教員や職員を採用することによる「雇用創出効果」、学生が生活することによる「需要創出効果」が生まれるほか「地域の文化向上」「地元子弟の進学機会の拡大」などが期待されると、バラ色の未来像が描かれていた。
  • 地方への進出をうかがう大学側にとっても、この政策は願ってもないことであった。大学の新設に当たっては、巨額の創設費を自前で用意しなければならない。ところが、この方式を使えば「地方公共団体の債務負担行為は自己資金とみなされる」わけで、少ない資金で大学を開設することができるからである。
  • 国土庁とは別に通産省も83年、先端技術産業を中核とした産・学・住が一体となった街づくりを促進し、地域経済の振興と向上を目指す「高度技術工業集積地域開発促進法」(いわゆるテクノポリス法)を制定した。この法律は、当時急速に発展しつつあったマイクロエレクトロニクスなどの知識集約型産業と大学が連携してリサーチパークを形成し、産業と学術および居住空間が一体となった新たな街づくりを目指す構想であった。
  • この結果、テクノポリス地域には31大学(私立21校、公立10校)、6短大(私立4校、国立1校、公立1校)が新設されたほか、キャンパスの移転や学部の移転をしたものが7校に上った。このうち私立大学・短大の新設と移転については公私協力方式によって設置されている。
  • 一方、文部省は86年から92年までの18歳人口急増期を前に、84年「昭和61年度(86年)以降の高等教育の計画的整備について」(新高等教育計画)を発表する。計画は86年から92年までの7年間の急増期とそれ以降の急減期を見据え、規模の拡大を全て新増設等による恒常的な定員増で対応しないことが前提となっている。
  • 具体的には、
    1. 既存の大学に期間を限った臨時的な定員増を認めること
    2. 高等教育機関の地域配置の適正化の観点から全国を13の地域に分け、地域ごとの恒常的定員増の目途を示すこと
    3. 工場(業)等制限区域ならびに政令指定都市区域における新増設は、特別の必要があるものを除き原則として認めないが、臨時的定員増については認めること
  • また、大学の地方分散については「国、地方公共団体、学校法人の協力方式」による大学、短大の設置構想が初めて打ち出された。
  • このように、大学の地方誘致で国土の均衡ある発展を図りたい国土庁、大学を含めた産業集積型の街づくりを目指す通産省地域活性化の切り札として大学を誘致したい地方自治体、財政面から18歳人口の急増期を国立大学の拡充でなく私立大学に委ねたい文部省、そして何よりもわずかな自己資金で大学を新設したい学校法人…省庁の壁を超え、官と民の思惑が一致する。
  • 急増初年度の86年から「公私協力方式」の大学が激増することとなる。85年以前20年間に新設された私立大学は122校、このうち地方自治体の支援を受けた大学はわずか6校だけ。ところが86年から95年までの10年間は、新設大学83校中公私協力方式は37校(45%)、96年から05年までの10年間は、新設大学132校中51校(39%)、06年から09年までの4年間は、新設大学37校中11校(30%)となっている。
  • ところが、18歳人口の急激な減少は、都市部の大規模大学に志願者が集中し、地方の小規模大学に学生が集まらないという「規模の格差」と「地域間の格差」を生み出した。公私協力方式大学は、基本的に地方・小規模大学に当たる。このため、学生数を確保できない大学が増加している。09年度の入学定員充足状況を調べてみると公私協力方式大学103校中、定員割れをしているのは半数以上の56%。この数字はその他の大学の38%を大きく上回っており、深刻さが浮き彫りになっている。
  • このような状況を生み出した要因は地方自治体、学校法人の双方にあると思われる。自治体は「悲願」や「地域の活性化」という漠然とした言葉で地元住民や議会に説明し、大学を誘致すること自体が目的化したこと。一方、法人側も設置する学部や教育内容について地元と十分な議論を尽くさず、大学の論理で進めたことなどが挙げられるだろう。
  • 大学立地という「器づくり」だけが先行してきた公私協力方式大学の存在意義が今、問われているのではないだろうか。


No.403 厳しさ増す「公私協力方式大学」 重要な理事会の決断 ―下―

  • イノベーション名桜大学の事例
    • この4月私立大学から公立大学法人に移行するという劇的な変革を実現した。
    • 同大学の設立は、94年4月。沖縄県と名護市をはじめ沖縄北部12市町村が約66億円の創設費を出し合って設立、運営は学校法人・名護総合学園が行うという公私協力方式の一つである「公設民営型」大学だ。当初、学生確保は順調だったが、18歳人口の減少と景気の低迷が暗い影を落とすようになる。
    • 新学部(人間健康学部)の増設や既設学部の学群への移行など大学改革に取り組んできたが事態は好転しない。近年は、収容定員ベースで定員割れを起こすようになってきた。
    • 最大のネックは学費である。沖縄県の県民一人当たり所得は全国最低、東京の半分以下だ。全国平均から見れば、同大学の学費は低く抑えられていても、県民の負担は大きい。
    • 公立大学法人への移行は、この問題を一挙に解消する。初年度納入金を比較すると、国際学群で10万円以上、人間健康学部では40〜50万円も学費負担が減少する。地方独立行政法人法に基づいた申請が受理され、県知事の認可が下りたのは3月に入ってから。学生募集の点ではやや遅い決定であったが、それでも「申請中」の効果は絶大であった。今年の志願者は全体で1238人。昨年の469人の約2.6倍という飛躍的な伸びを見せた。
    • 公立大学化というイノベーションの成功例として注目されている。
  • 〈ダウンサイジング〉皇學館大學の事例
    • この4月から三重県名張市にある名張キャンパス(社会福祉学部)を閉鎖、伊勢市にある本キャンパスに一本化した。合わせて、社会福祉学部の募集を停止するとともに、現代日本文化学部に改組した。
    • 同大学が、地元の要請に応えて名張に進出したのは98年。県から22億円、地元名張市から7億円と土地の提供を受けている公私協力方式大学の典型である。
    • 開設当初は約5倍の志願者を集めていたが長くは続かない。3年目から志願者の減少が始まり、打開策として定員減等を行ってきたが、それでも定員割れをする状況となってきた。
    • 法人は、毎年3億円近い赤字を計上している名張キャンパスが収支上重荷になってきたことと学生確保の展望が開けないことから、昨年2月の理事会で閉鎖を決定した。
    • これには当然地元からの反発が起きた。「大きな負担をしているのに勝手に閉鎖するのは約束違反だ」といった声が議会からも上がる。大学側は、議会の全員協議会に出席、収支状況など資料を提示して理解を求めた。その上で、大学誘致のために名張市が発行した市債の残高6.6億円を和解金として返還すること。さらに提供を受けた土地を市に返還し、数億円に上ると見られる建物の撤去費用も大学が負担することで了解を得た。
    • 一方、学内的な問題も多い。最も重要なのは、学生への対応だ。説明会を開き、大学の現状と閉鎖に至った経過、今後の取り組みについて説明する。原則として閉鎖・移転によって不利益を被るケースは、全て大学側が負担することにした。
    • また、教職員(専任教員32名、専任職員15名)については、全員の雇用を継続して伊勢キャンパスに移ることとし、通勤の関係で退職を余儀なくされる場合は、退職金の上乗せで合意している。
    • 「支援してくれた県や市に対しては大変申し訳ないが、学生や地域の方たちへの影響を最小限に食い止めるためには、体力のある今しかない」と大学側は語っている。
  • 〈募集停止―閉鎖〉三重中京大学の事例
    • この4月から併設の短大とともに学生募集を停止、在学生の卒業を待って閉鎖することとなった。
    • 同大学が、地元の要請を受け三重県松阪市に「松阪大学」として設立されたのは、82年。県と市から合わせて10億円以上の支援を受けてスタートした公私協力方式大学の先駆けである。
    • 18歳人口急増期には全国から志願者が集まり、一時は2000人を超える学生を抱えていたが、90年代に入ると志願者の減少が始まる。05年には校名を現在の「三重中京大」に変更したが、歯止めがかからず近年は定員割れの状況が続いていた。
    • このため、数年前から教職員の給与やボーナスのカットなどを実施してきたが、理事会は、「学生確保の見通しが立たず、赤字体質からの脱却は不可能」として、閉鎖することを決めたものである。
    • このタイミングは財政上の問題が大きい。閉鎖決定と同時に補助金は交付されない。しかも、収入は卒業生分だけ減ることになり、年々減少する。また、閉鎖までの経常費、退職金等も必要となる。さらには、閉鎖後も卒業生への証明書発行のために学籍管理は継続しなければならない。つまり、ひと口に閉鎖といっても多額の費用を必要とする。「多少の蓄えがある今の時点を逃しては取り返しのつかないことになる」というのがその理由だ。
  • ここで紹介した三つの大学に共通しているのは、理事会の決断である。進むであれ、退くであれ、大学の置かれている実態を明確に把握し、最も適切な方針を打ち出すことが理事会の役割と使命といえるのではないだろうか。


時代の要請で大学が林立した経緯があり、大学ばかりを責めるのは可哀想だとか、地方だから努力してもやむ得ない部分があるとか、様々のご意見がありますが、それはバブルピークの時にマンション買った後、資産価値が半減した人と同じで自己責任です。
ただ、在籍学生に罪はないので(全くないとは言えないが)、せめて卒業させるまでは存続できるよう理事会および私立大学協会等でセーフティーネットを考えてほしいと思います。ここに公的資金は投入すべきではないと思います。