小沢一郎の宗教観
日経12/20朝刊の「風見鶏」の記事から抜粋
民主党の小沢一郎幹事長は、11月10日、次のような宗教観を述べた。
▼キリスト教
排他的で独善的な宗教だ。
キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰っている。
▼イスラム教
キリスト教よりはいいけれど、排他的だ。
▼仏教
人間がどうのようにあるべきか、心の持ちようや生きざまを原点から教えてくれる。
日本キリスト教連合会が抗議書を送った。
小沢氏は11月16日に
「仏教は死ねばみんな仏様になる。
ほかの宗教でみんな神様になれるところはあるか。
基本的な考え方が違う。」と述べた。
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和歌山高野町で全日本仏教会の松永有慶会長との会談後の発言なので、
リップサービスの意味合いもあるであろうが、
「公人」であることをわかっているのだろうか。
私は特定の信仰を持たない人間だが、
宗教を信じる人は尊重する。
それがグローバル社会を生きる基礎的なマナーだと思う。
もし小沢氏が仏教を信仰していようが、
他の宗教を批判してその比較優位で悦に至っているようでは、底が浅い。
キリスト教、イスラム教は一神教であり、仏教は多神教である。
根本的に考え方が違うのだ。
一神教は基本的に神との契約があり、
最後の審判を経て、神に認めらた者が楽園に行くことができるとする宗教が多い。
多神教は、輪廻転生があり、それを抜け出すため解脱を目指す宗教が多い。
私自身も冷静に第三者的な視点で見た場合、
日本人には仏教的なものの見方は肌に合うとは思う。
キリスト教やイスラム教の持つ厳格さに違和感を感じ、
仏教の持つ曖昧さに親近感を覚える。
しかし、結局のところ死後の世界を考えて、現世と関わりをどのようにもつか、
その指針を宗教に求めていると言えるのではないか。
現代において他者への理解、寛容さは、生きていく上での知恵だ。
どの宗教にも原理主義者はいるが、どの宗教も多数派は世俗的であり、
他との融和を目指している。
影の首相ほんとに大丈夫?