「大学の話をしましょうか」Point

大学の話をしましょうか
中公新書クラレ
作者:森 博嗣(ひろし)
・元名古屋大学工学部助教授(建築学専攻)
・ミステリーなどの小説家(スカイクロレラ等)

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P20勉強自体が楽しいもの
優勝したら、プロにスカウトされて贅沢な生活ができる、という社会では、皆が必死に練習しました。でも練習しなくても、別にそこそこ豊かな生活ができる世の中になれば、そんなに必死になって練習をする人はいません。でもだからと言ってスポーツは無意味だということではないのです。スポーツはそもそも優勝するためにしているものではなく、やっているとき、その時が楽しければ、それで十分なのではありませんか。勉強も同じです。勉強してエリートになって、高賃金を稼ぐ、という目標よりも、これからは、勉強自体が楽しいことだ、というふうに教えないといけないと思います。

P25ゆとり教育の良い点を見る
学力が低下している代わりに、それこそ「心のゆとり」が増加しているならば、それはひとつの成果ではないでしょうか。
点数は取れないけど、人間性が豊かになっている、と考えてはどうなのでしょうか。マスコミが危機感を煽り過ぎです

P28必要とされる能力は自分で考える力
数字と数字と掛け合わせる能力などは昔より必要がなくなっているはずだ。昔は計算が速い、正確であることは学力のひとつでだった。また文字が正確に書ける能力も、昔ほど必要がなくなってきている。今はまだ、語学がわりと学力の重要な位置にあるが、翻訳機が普及すればその能力もやがては重要ではなくなってくるだろうもちろんだからといってこれらの能力が無意味というわけではない。例えば速く走る能力や、長距離を走れる能力は、昔はそれだけで重宝がられ、ある分野の職業には絶対的に有利な条件でした。郵便配達も宅配便も、仕事にバイクや自動車を使い不要になった。よって、足の速さよりも運転免許の方が重宝がられる。いろいろな分野にコンピュータが導入され、人間が行う作業はとても楽になったので、人間に求められる能力は、キチンと気配りができる、次にどんなトラブルが起きるか予想できる、というような機械では思いつけないような、発想、着眼、想像ではないか。

P58 少子化問題は問題ではない?
学力が低下している、あるいは学生にやる気がない、常識に欠けている、マナーがなってない、といったことに対して、「こんなことでは先行きが危ぶまれる」と考えることを僕はしない。例えば、少子化の問題が良く取り上げられています。子どもが少なくなっている。日本の人口はどんどん減りつつある。このままでは日本の将来が危ぶまれる、と眉間にしわを寄せていう人たちがいます。しかし、本当にそうでしょうか?人口が減ってはいけないのでしょうか?地球上の人間は増えすぎました。人口を増やすことが「発展」でないことは明らかです。環境を維持するためにも、将来は人間の数は絶対に減らさなければならないのです。日本の人口が減っても、それで日本が滅びるわけではありません。

P70 人間だけが学ぶ
どんな動物だって、遊ぶし、働くし、寝るし、食べる。しかし人間だけが学ぶのである。人間としての楽しみが、学ぶことにはきっとある。それに気づいていくことは、とても尊いと思う。

P110 大学が縮小するという選択肢
(大学が)どうして生き残りをかけるのでしょうか。じり貧になればよいのです。そもそも研究・教育というのは、採算がとれる事業ではないのです。ただ、将来の社会のために、非常に重要なものです。お金をかける価値はあるでしょう。だから、独立採算で、自分で金を稼げる組織になろう、という姿勢は根本的に間違っていると思います。稼げなくても、理念を貫き、やるべきことを地道にやってほしい。それでもし成り立っていかなくなったら、それはもう消えるしかありません。社会に理解されないときは、消えるのがよいでしょう。でも、きっとそうはさせないという良識が社会にあるはずです。採算が取れなくて立ち行かなくなって潰れましたとなれば、その地域や国が歴史のどこかで責められることになるでしょう。中国の文化大革命のように。町に大学がある、国に大学があるということがその地域その国の豊かさであり、良識であるからです。

P170大学は学問の楽しみを知る場所
大学は基本的に研究を行うところです。そこに、学びに来る学生たちいる。研究する人の身近で、学問とは何なのか、学ぶということはどんな楽しみがあるのか、を知る場所なのです。高校生までの子たちは、学問が楽しいとは絶対に考えてはいません。また、大学を就職するための通過ポイントだと考えている人にも、学問の楽しさは発見できないでしょう。別に全員が発見しなくてもよいと思います。ただそういう機会があったというだけでも、将来の布石となるはずです。

学問をするのは、何のためでもありません。個人個人が楽しむ、ということなのです。極端な話つまりは趣味、レクリエーションだと認識してもよいでしょう。それで直接お金が稼げる、商売ができるというものでもないし、知らなくてもよいことだし、生きていく上でどうしても必要だというものでもないのです。ただ学ぶことは楽しい、それを知ることができるというだけなのです。でも、それこそが、豊かであることだと僕は思います。

たとえば、学問の楽しさをより多くの人が知れば、それは必ず平和につながるでしょう。物理学や数学に打ち込んでいれば、国境や人種、宗教などの争いが、いかに馬鹿げているか、自分たちはそんなことに関わりたくない、と考えるようになるでしょう。

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作家の副業?だからか、少し斜に構えての発言かなーとは思うが、非常に参考になる意見でもあった。昨今の大学は少子化等による競争激化から「就職に有利」とか「資格が取れる」とかそんなんばかりだ。もちろん多様な学校があり、多様な学びがあるのは否定しない。また大学進学率が50%を超え、ユニバーサルアクセスの時代になったことも歓迎すべきことだ。しかし、高校までの知識押しつけ型、詰め込み型教育ではなく、学問を楽しむのが大学の本質だと思う。そこを忘れてしまっている気がしていた。という私も学生時代は学問した記憶はなく、後に学問の楽しさに気づいた一派だが。