世界三大宗教 イスラーム編

世界三大宗教」重要ポイント83 三笠書房 
を読んで興味深い部分を列挙する
イスラーム
P109<イスラム教の柱となる教え>
イスラム教の信仰は、仏教やキリスト教よりもわかりやすいといわれる。というもの、何をどのように信じればいいかが、「六信」として明確に分類されているからだ。
1)アッラー(神)
2)マラク(天使)
3)キターブ(コーランを中心とした啓典、聖典
4)ナビー(預言者
預言者ムハンマドだけではない。アダム、ノア、アブラハム、イエスも入る。ムハンマド以降預言者は現れないと信じる。
5)アーヒラ(来世)
輪廻転生ではなく、「最後の審判」後の世界を信じる。現世での行動が優れていて善行をつんだとアッラーに認められた人は緑園(イスラム教の天国)へ行く。逆に悪行を重ねアッラーにその罪を赦されなかった人、あるいは不信心と断定された人は煉獄か地獄へ行く。来世に行くのは霊魂でなく、生身の人間。←これがイスラム原理主義者のテロリストが自爆を行うのは、ジハードで殉職したものは緑園に行けると信じているから
6)カダル(天命)
この世に起こるすべてのことはアッラーの意思によるものでその例外はない

P202コーラン(クルーアン)の教え
アッラーの最大の特徴は、コーランに次のように記されている。
「これぞアッラー、唯一なる神、永劫不滅の神。生まず、生まれず、一人として並ぶ者はいない」
これは最も根源的な教義を表したもので、この言葉がイスラム教のすべてを集約しているともいわれている。
唯一絶対のアッラーは全知全能で天地万物の支配者であり、時や場所に関係なく常に存在し、人間を慈悲と慈愛で見守っていることを大前提としている。 「生まず、生まれず」は和訳では「子もなく、親もなく」と表現されるが、キリスト教のイエスのような、いわゆる「神の子」がアッラーから生まれることは決してないと宣言しているのだ。なぜらなアッラーは唯一絶対の神であり、人間はアッラーによって創造された存在であるからだ。本来、創造主と創造物の関係の間には越えられない線があり、その中間的な存在などあり得ないからだ。そのような存在をキリスト教のように無理に認めると、神の子を名乗る偽善者が多く登場して人類を混乱させるからその配慮をしたともされている。*ムハンマドも神の子ではなく、あくまで預言者

P208シャーリア(イスラム法
宗教の戒律、社会規範、国家の法律と一体となったもの イスラム教徒は戒律ではなく法律としている イスラム教国はこれが法律となる

第一の法源(法律の根源)当然コーランだが、歴史が流れると社会が複雑化していき、コーランでは対処できない事柄が出てくる。それを補うために編集されたのが第二の法源「スンナ」
スンナは基本的にムハンマドの言行に基づく規範・先例・行為などを表したもの。それを記録編集したものを「ハディースアラビア語で伝承の意味)」。宗教儀礼、婚姻、養育、遺産相続、商取引、負債・担保などお金や財産に関すること、各種刑罰など、日常生活に関わる様々なことが網羅されている。 また、律法学者の教義した判例などその他第10の法源からシャーリアは成っている

日本だといわゆる「世間の常識」とされていることも、シャーリアには記載がある。息苦しく感じるがかえってわかりやすいかもしれない
例えばイスラム教徒が守るべき6つの義務として
・挨拶を交わす
・招待されたら招待に応じる
・求められたら助言する
・相手がくしゃみをしたら、その人のために神に救いを求めてあげる(くしゃみをすると魂が抜けるとの言い伝えから)
・病気になれば見舞う ・知人が死んだら葬式に参加する

P233イスラム教への入信
キリスト教は洗礼(バプテスマ)、仏教の出家など宗教への入信はそれなりの厳格な儀式を必要とする場合が多い。しかしイスラム教では形式的な儀式は一切行わず、すでにイスラム教徒として信仰している人を証人にして、誓いの言葉を唱えるだけで誰でもイスラム教徒になれる。(ただし成人男女)

アッラーのほかに神なく、ムハンマドアッラー使徒なり」

一日5回の礼拝は、信仰心のない人には厳しく感じるが、イスラム教徒にとってはアッラーを感じられる至福の時であり、義務というより生きている間に欠かすことのできない大切なひとときである。自分の都合に合わせて神仏に祈る一般的な日本人の礼拝とは、その重さが違う。

イスラム教には僧侶や神父のような聖職者がいないので、「寺院」等とは呼ばず、礼拝堂、礼拝所、集会所と呼ぶのが適当だろう。イスラム教に聖職者がいないのは、神はアッラーだけであり、人間はすべて平等と教えているためだ。その代わりに「ウラマー」と呼ばれる宗教指導者が存在する。イスラム教の伝統的な諸学を習得した学者で、和訳するとイスラム法学者となる。宗教的特権は認められておらず、日常生活でも聖職者のような生活はしておらず、法学者、裁判官、モスクの管理などの仕事に就いている。

P245イスラム教の死後の世界「緑園」
イスラム教徒の天国は「楽園」あるいは「緑園(りょくえん)」としている。砂漠の中で水と緑を持つオアシスのイメージから名づけられたといわれ、コーランの中にも明確に写実的に描かれている。
注目すべき点は不毛の砂漠で生まれた宗教がイメージした楽園らしく、まず河川があり、涼しい木陰や多くの果物あるところを強調している。しかも水だけでなく、生娘や金銀財宝、さらにこの世で禁止されているお酒も飲んでよいという。


どうすれば楽園に行けるか。イスラム教ではキリスト教の「最後の審判」とほぼ同じことを教えている。最後の審判の日、人は再び肉体が与えられ、それまでの個人の善行や悪行すべてが審理される。預言者ムハンマドは弁護人となって援護するというが、すべては個々人の善悪の行いが基準となる。その点がキリスト教の「神のみぞ知る」というキリスト教と大きく違い、イスラム教では個人の日々の積み重ねがあくまで重視されるのだ。

キリスト教の「神の国」と違う点は、楽園での女性との関係について明言しているところである。楽園には絶世の美女ばかりいて、性格はもちろん肉体も人並み以上。しかも何回セックスしても女性は処女のままだとしている。仏教の悟りの世界とは対照的である。一切の欲望がない世界と、すべての欲望を満足させる世界。イスラム教徒たちがこの世界で禁欲的な信仰生活を毎日実践できるのも、実はこの楽園を目指しているからなのである。