インドのイノベーション

日本経済新聞2月23日 地球回覧
数学のゼロを発見したのはインド人だ。1947年の独立後歴史に名を刻むようなインド発のイノベーションが生まれていない。「優秀な頭脳が多いはずなのになぜだろう」。
ヒンディー語に「間に合わせ」を意味するジュガードという単語がある。貧しい農民が手作りの荷車にエンジンを取り付けただけの簡易トラクター「ジュガード」は今でも過疎の農村で活躍する。
独立後、旧宗主国の英国への反発から計画経済を志向したインドは長らく停滞を味わった。企業の生産は需要に追いつかず、経済の自立を確立するための過剰な保護政策で研究開発もおろそかに。そんな中でジュガードは限られた資源を巧みに利用して目先の課題を克服する生活の知恵として広まった。
91年に始まった経済の自由化はインドの市場としての潜在能力を解き放ったが、イノベーションに関してはまだジュガードの域を出ていないように映る。タタ自動車が昨年売り出した小型車「ナノ」は20万円台の超低価格が世界的な話題になった。助手席側のドアミラーやエアコンを省くなどの発想が特徴だが、低所得者の需要を開拓するための機能の削ぎ落としをイノベーションと呼ぶには少々無理がある。
「インドはまだ個人の才能を素直に評価する社会ではない」。作家のチェタン・バガド氏は、憲法が廃止をうたったカースト制度の名残がイノベーションを阻害していると指摘する。発明を基に富と名声を手に入れる下層カースト出身者出てくると、個人の立ち位置を細かく定めたカースト秩序が根底から覆ることになりかねないからだ。
社会の閉塞感が招いた頭脳流週も見逃せない。パソコンに周辺機器を接続するうえで欠かせなくなったUSBの共同開発者である米インテルのアジャイ・バット氏は、インド西部グジャラート州生まれ。地元の大学を卒業後、より自由な研究環境を求めて80年代前半に渡米した。米国の充実したベンチャーキャピタルは蜜のようにインドの頭脳を誘引、「シリコンバレーでこの10年間に創業したベンチャー企業のうち3割近くはインド人が起業した」との指摘もある。
大国の仲間入りを目指すインドにとって、自国発のイノベーションはのどから手が出るほどほしい“勲章”だ。そのためには何よりもまず、個人の際のをはぐくみ、評価する環境づくりに取り組まなくてはならない

なにを言ってるだこの文章は!完全上から目線の論調に見える。
日本も敗戦後高度成長の時期は、イノベーションよりも欧米を中心とした他国の技術を取り入れ、小型化するなどが中心であったではないか。
カーストは確かにある。特にハリジャンと呼ばれる最下層の人々の暮らしは想像を絶する。しかし民主主義すくなくとも選挙が浸透しているインドでは、最下層の人の票が多大であるため順次改善もみられる。
また、確かに頭脳流出はあるが、成功後インドへの回帰する母国愛、華僑にならぶ印僑の存在。それは世界中に張り巡らされるネットワークとなっている。
そして何よりもインド人の力を見誤っているように感じる。
何せ人口ボーナス期をこれからも謳歌することは間違いない。
人口大国が世界の覇権を握る可能性も大きい。
力を見誤れば痛い目を見るのは我々の方だ。